「生きることの「ワクワク感」を思い出して欲しい」(その1)
レポートNo.61

高松七恵(35才)
●はじめに伝えておきたい事
あなたやあなたの奥様、彼女、ご友人の生理が、普通ではない・子宮や卵巣に異常があると知っていて、このページをご覧の方は、迷ってないで、急いで「広尾」で診察を受けてください。

のっけから乱暴な、と思われたでしょうが、私は「広尾」を知りながら、実際に足を運ぶまでに8年も迷いました。生理痛やその他の症状を悪化させ、もがき苦しみながら。子宮筋腫や卵巣嚢腫、腺筋症の場合、「保険診療」の範囲では、子宮や卵巣を残したまま健康な体に戻るなど、ほとんど不可能だと思います。

私は広尾に辿り着くまで、あちこちの病院で、ノラリクラリとした医師の態度に腹を立て、業を煮やし、完璧な「病院不信」に陥るまでさまよい続けました。体だけでなく、精神的にもかなり追い詰められてしまったのです。そうなってしまう前に、苦しんでいらっしゃるあなたや、あなたの奥様や恋人、お友達、早く「広尾」で診察を受けてください。手術するかどうか迷うのは、その後でもいいでしょう。お金のことは、健康になってしまえば何とかなるのです。

体の不調で弱気になっている方はそんな簡単な開き直りもできないほど、精神的にもまいっているのです。そんな自分を可哀想だと気づき、早く適切な治療を受けて、自分に対する自信を取り戻してください。そして1日も早く、充実感が体にみなぎる、健康な生活を取り戻して欲しいと願います。


●発病?
生理痛が激痛へと変わっていったのは、23歳頃です。当時、広告代理店に勤めておりました。仕事は多忙を極めていましたが、辛かった事はありません。ですが、生理は重くなっていきました。鎮痛剤の効果が切れるのが恐ろしく、いつも指定の時間より短い間隔で服用していました。

出血もだんだん増え、「お粗相」してしまったことも数回。同僚の女性にコッソリお使いを頼んだ事もあり、山ほどのナプキンの他に、替えの下着やスカート等を持ち歩かないと、不安で仕方なくなっていました。でも、生理の状態を人と比べることもできないので、これでも普通なんだ、と自分をごまかし続けていました。

27歳頃、生理痛だけでなく、ひどい貧血(健康診断で「要治療」)と日々の不正出血、などなど完璧に「おかしい」と自覚。倦怠感がひどくなり日々の生活にも支障をきたし始め、ついに病院へ。最初、近所の婦人科へ行きました。簡単に超音波検査をして「筋腫だ」と告げられましたが、治療をどうするとか、具体的な話は全く無く、診察終了。どうやらその医師は、早く昼食に出かけたかったようでした。

私はショックで泣く泣く帰りながら、楽しげに食事に出て行く医師と看護婦たちを見かけ、更にガッカリしたのを覚えています。(この時、斎藤先生の著書を読んでいたのですが、自費診療だと分かり、若い自分にそんな大金は無いから、と諦めていたのです。人生最大の失敗。)


●国立埼玉病院へ
国立埼玉病院での診察は、最初の病院よりかなりマシでした。担当の先生も、限られた時間ですが、丁寧に説明してくれました。

右卵巣にかなり大きな腫瘍があり摘出した方が良い、と言われましたが、手術は怖かったので「薬で治せるならそれを試して欲しい」とお願いしました。ホルモン療法の始まりです。最初ボンゾールを服用しましたが、体重が増えて体調も良くなかったので、スプレキュアに変更。ホルモン療法がカラダに良いものではない事は承知していましたが、それでも生理の苦痛から逃れられた喜びの方が大きかったのです。

仮初めながら、体調も気分も上々でした。半年後、再び卵巣の検査をしましたが、腫瘍は小さくなっていませんでした。CTスキャンで見た卵巣は直径7センチもあり、先生から摘出を促されました。この先生を信頼していましたので、納得した上での処置でした。

28歳、「右卵巣全摘出、左卵巣一部摘出、子宮内膜症の処置」という手術でした。


●再発?
生理痛が治まっていたのはわずかな期間で、術後2年も経つ頃には、再び生理痛と月経過多に悩んでいました。子宮か卵巣に異常があるのは、様々な症状からも分かっていましたが、病院でそれをハッキリ知らされるのは怖かったし、その結果、また手術するのはもっとイヤでした。

会社では生理休暇が定められていましたが、だんだんと1日では済まなくなり、出血や痛みのピークを過ぎているはずの4日目に、突然激痛が起こったり、ウッカリ時間を忘れて働いていると、ズボンやスカートに染み出していたりと、自分の体ながら全く手に負えません。鎮痛剤も、一般に宣伝されているような薬では効果がなく、強い薬が必要になっていました。


●「広尾」を訪れる前に
近所に開業したばかりの婦人科があり、「新しければ新しい技術や治療を望めるかも」と単純に考え、ちょっと期待して行ってみました。超音波検査では、残った左の卵巣が腫れているとの事。治療に対する期待は裏切られ、「漢方薬で卵巣の腫れが引くか様子を見て、生理痛がひどかったら鎮痛剤を飲んで」と言われ、ガッカリでした。なぜなら、その漢方薬は、以前に国立埼玉病院で処方されたのと同じ薬で、ホルモン療法と並行して服用していたのと同じ物でした。

それでも3ヶ月ほど服用を続けましたが、結果は私の病気には効果が無いと分かっただけでした。ホルモン療法を希望し、生理痛のあまりの辛さに、いっそのこと全摘出して欲しい、とも言いましたが、その医師は煮え切らない態度で「そんなに簡単なことじゃないのよ」と言ったきりでした。

その個人病院を見切り、国立埼玉のあの先生なら納得のいく説明と処置をしてくれるのでは?と国立埼玉病院に戻りました。しかし、当時担当だった先生は転勤か何かでいなくなっており、代わりに若い女医が担当でした。ホルモン療法を望んだ私に「医療関係の方ですか?」と尋ねてきたのには笑いました。一般向け医学本程度の知識しかない私に、何を言っているのでしょう?そうでなければ患者をバカにしているとしか思えない。不信感の芽生えです。

ホルモン療法に必要だからと、血液検査や子宮体癌検査を受けましたが、一向に治療がスタートする気配が無く、何が問題なのかも説明の無いまま、検査を繰り返そうとするので、この女医に対する不信感はますます募りました。ここにも見切りをつけ、ついに「広尾」に行くことを決心しました。


●広尾で
まず驚いたのは病院らしからぬ暖かい雰囲気。ソファには待ってる人が居らず、私一人でした。少し不安に思いつつ診察室へ。

まず、お腹の上から超音波の映像を映し「これ卵巣、これ子宮、卵巣が少し腫れているねぇ」等と次々に説明されました。その映像をプリントし、「これが子宮なんだけど、前面に向かって腫れているのが分かる」など、たった1回の超音波検査で、今までの病院では考えられないほど、詳しい説明をしていただけました。

もっと驚いたのは「内診」されなかったことです。症状によっては内診する場合もあるのかもしれませんが、私は広尾では1度も内診を受けていません。そうなると、これまでの病院での内診は一体何だったのかしら?とさえ思えてしまいます。もっと詳しく診察していただきたかったので、MRIの予約をして帰りました。


●手術を決心
MRIでより詳しい検査をしたら、自分の想像以上に、お腹の中はとんでもない事態になっていました。内膜ポリープらしき陰、醜く膨らんだ子宮壁、腫れあがった卵巣…。先生は医学的知識の無い私がキチンと理解できるように自らイラストを書き、丁寧に説明してくれました。

あまりの事に混乱していた私には、説明の半分も聞こえていませんでしたが、先生が「これは治せるよ、キレ〜イに治る。卵巣も残せるし。」と、事も無げに、自信満々におっしゃったのだけはしっかり聞こえました。説明後、「何か尋ねておきたいことは?何でも聞いておかないと」と言われ、やっとの事で「先生が手術をされた方で、再発された方はいますか?」とだけ尋ねました。先生は「今のところいない」と、これも自信たっぷりに即答されました。私の迷いは吹っ切れ、手術を受ける決心がつき、手術の予約をして帰りました。


●手術まで
手術は半年も先でした。(今はもっと混んでいると聞いています。)私には、待っている間の生理を耐える自信がありませんでした。七転八倒して脂汗・冷や汗の流れる痛み、塊になった経血がドクドクと出て、痛みをごまかす強い鎮痛剤を飲む…。考えただけでも恐ろしい、生理の状態でした。先生に「耐えられないのでホルモン療法をしてほしい」と訴えましたが、「ホルモン療法は卵巣機能を著しく低下させるからなるべく我慢して」と諭され、我慢することにしました。最後の辛抱です。


●金策
貯金ゼロの私でしたが、手術代を貸してもらえるよう母に頼んだところ、すんなり貸してもらえました。母も筋腫で子宮と卵巣を全摘出しており、私のつらさを理解してくれていたからでしょう。高額だけど、これで健康なカラダに戻れるなら決して無駄でも贅沢でもない、と言ってくれました。これで、手術を受ける準備は整いました。


●入院・手術 2000/09/25
手術の前日から食事を制限し、当日空きっ腹をかかえて入院。一応、夫についてきてもらいました。看護婦さんの手でテキパキと手術の準備がすすめられ、手術。

術後、斎藤先生が「よく頑張ったね」と声をかけて下さいました。「頑張ってくれたのは先生ですよ」と、お礼を言いたかったのですが、麻酔でヘロヘロになっていた私は、先生の言葉に笑顔でうなずいたつもりでしたが、実際にはどうだったことやら…。病室で待っていた夫にも笑いかけ、何か話したそうです。私がヘラヘラと元気そうなので、夫は安心して帰れたようでした。


●手術後〜退院
翌日の夕方には、お水や重湯を口にして、3日目には普通の食事をモリモリ食べていました。あまりにも調子が良いので、まだ内蔵は普通の状態ではないというのに、昼食のうどんをツルツルっと普通に食べたら、消化不良を起こしてしまい、夜中に看護婦さんや先生に大迷惑をおかけしてしまいました。消化によさそうな食事でも、まだまだちゃんと噛まないといけなかったんだな、と反省しました。

私の“入院トピックス”はこの程度です。2日目には院内を歩き始め、同期入院の方々と“出てきたモノ”を自慢?しあい、楽しく過ごしました。あっと言う間に退院日。せきやくしゃみに気をつければ傷も痛くないし、ほとんど普通の生活ができるまでに回復していました。すごい事です。おかげで私は、翌週月曜日から職場復帰しました。

無理な残業はできませんでしたが、デスクワークなので支障なく働けました。会社で働くより電車通勤の方が、傷をかばうのに苦労しました。それも最初のうちだけで、2ヶ月目には傷も全く痛くなくなり、すっかり普通の生活に戻っていました。

最初の生理は驚くほど軽く「え、こんなチョッピリ?」という程の出血でした。でも、よく考えたら病気ではなかったと思える頃の生理は、こんな感じでした。常備していた鎮痛剤は1粒も口にすることなく、ついにはパッケージが破れてしまったので捨てました。


●3ヶ月後検診
術後3ヶ月以上経過したら、再びMRIを撮影し、検診を受けます。それまでに4回の生理がありましたが、驚くほど出血が少なく、痛む事もありませんでした。「これが健康な生理なのだ」と、改めて実感しました。母も非常に驚き、そして喜んでくれました。

今までの習慣が抜けきらず、ナプキン交換の時間を気にしたり、「生理用品セット」を大量に持ち歩いたりしていますが、そのうちどちらも気にする必要は無くなりそうです。また、今まで無駄に失われていた「血」が失われなくなり、精神的な苦痛から開放されたお陰か 心にも体にも、何とも言えない「充実感」がみなぎってくるのです。子供の頃、夏休みの朝、朝日を浴びながら「今日も遊ぶぞ〜!」と心の底からワクワクしていたあの感じ。あれと全く同じ感覚を、35歳の今、確かに感じるのです。

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HIROO MEDICAL CLINIC