「夫の心強いサポートで手術に踏み切れました。」
レポートNo.65

吉田幸恵(42才)
今、私が毎日をハツラツと元気に過ごせているのは、第一に夫のお陰です。夫の後押しが無くては、「広尾メディカルクリニック」を知る事も、斎藤先生とお会いする事もありませんでした。「広尾」で手術を受ける決心も、全て、夫無くてはあり得ませんでした。

私は10代の頃から生理不順で生理痛があり、体質なので仕方が無いと思っていました。1979年、北海道で夫と知り合い結婚し、長女を身ごもりましたが、定期検診で「心音が聞こえない。」と診断され、ビックリし、すぐに夫に知らせました。「違う病院でも同じ事を言われたら、諦めよう。」という夫の言葉に励まされ、産婦人科では定評のあった病院を訪れました。検査の結果、子供は無事育っており、無事出産。2年後の2人目は何の問題も無く育ち、出産。そして10年後の東京で、待望の3人目を身ごもりました。


●流産とともに発見された筋腫
転勤族の夫といっしょに東京に転勤になったのは1988年のことでした。子宮ガン検査を受けたいし、生理不順の治療もしたかったので婦人科を探していたら、友人がO病院を紹介してくれて、婦人科はそちらでお世話になっていました。

欲しくてたまらなかった3人目の子供は、残念ながら流産してしまいました。その時の検査で、コブシ大の筋腫があると分かり、手術にはまだ早いと判断され、様子を見ることになりました。ホルモン療法も勧められましたが、元々クスリ嫌いですし体への影響も恐くて、お断りしました。

その間、生理のたびの激痛とドボドボと塊が出る程の大量出血、平常時でも軽い運動後に起こる、差し込むような腹痛などに悩まされ、年老いた両親の事など家庭の事情も重なって、かなりの情緒不安定に陥っていました。しかも生理中はかなり不機嫌になって、私を気遣ってくれる夫の言葉さえうっとおしく、イライラしたものでした。

PTAの役員などをやっていた頃は、万一、役員会などと生理日がかち合ったら、皆さんにご迷惑をかけてしまうのはわかりきっていましたので、なんとか生理日を避けるよう、あれこれと苦労もしました。筋腫と診断されて、以前から辛かった生理が更に辛く、情緒不安定と体調の悪さが普段の生活にも少しずつ影を落とすようになった頃、子宮は、洋服の上からでもお腹を押さえると、ゴリゴリと固く手に触れるくらい大きくなり、病院でもそろそろ手術したほうが良いと言われました。私の周囲にも肉親を含めて筋腫で子宮を摘出した人はいます。漠然と『女性なら仕方ないかなぁ‥』なんて考えていました。


●筋腫だとばかり思っていたのに
迷いつつも手術を決心し、術前のMRI検査を受けたら、担当の先生が「あなたのは筋腫じゃない、腺筋症だ。」と驚いていらして、今の今まで筋腫としか思っていなかったのに、いきなり「腺筋症」という聞いた事のない病名を告げられ、頭の中は真っ白。先生は色々と説明をしてくださったようでしたが、何一つ覚えておらず、やっとのことで「腺筋症」だけを頭に入れて家に帰り夫に話しました。

それからの夫の行動は迅速でした。インターネットで「腺筋症」を調べ上げ、「広尾メディカルクリニック」を見つけ、ホームページを全てプリントして私に見せてくれました。すでにO病院での手術日も決まり、あと1ヶ月足らずで手術だという時期で、私は手術への決心(あきらめ)と不安の間を揺れ動ていました。

O病院の先生は、分かりやすく、お腹の中の状況と手術の話をして下さったのですが、「MRIで見る限りでは子宮と腸の癒着が起こっている可能性が高いので、その処置が必要。その際、かなり出血するので輸血も必要。子宮の大きさから見てかなり大きく切開しなくてはならない。」などなど私にはショックな事ばかり。こんな状況だったので、「広尾」の資料を見せられても、私はかなり疑っていましたが、またしても夫が「とにかく診察を受けて、この先生もダメだって言ったら諦めて、Oで手術しよう。」と私を説得し、2人して、というより夫に連れられて「広尾メディカルクリニック」へ。1998年の暮れの事でした。

診察の後、斎藤先生は「かなりひどい。でもこれなら子宮を残して直せるよ。」とおっしゃいました。夫は即座に「この先生にお願いしよう。」と思ったらしく、手術の話を勧めていましたが、当の私はまだ半信半疑。でも、「癒着してるけど、大丈夫だよ。」という先生の一言に、癒着を剥がすイメージが恐ろしくて仕方なかった私はすごく安心して、だんだん斎藤先生にお任せしよう、という気持ちになっていきました。

また、斎藤先生は、私の腺筋症大きさに「子供が二人もいるなんて、奇跡だよ。」とおっしゃいました。よく考えたら6年前の流産以外にも流産の経験はあります。それも腺筋症のせいだったのかもしれません。腺筋症は不妊の重大な原因だと知ったのもこの時でした。


●「広尾」での手術を応援してくださったO病院の先生
「広尾メディカルクリニック」での手術を決心し、問題はO病院に何と言うか、でした。担当の先生は信頼していますし、長いお付き合いをお願いしたい方です。その先生への後ろめたさを感じていました。「夫の知人が紹介してくれた」と苦しい言い訳をして、「広尾」で手術を受ける事を告げました。

O病院の先生は嫌な顔をするどころか、MRIのコピーを手配していただき、斎藤先生宛にこれまでの経過なども書面にまとめて下さいました。「手術、頑張ってきてね。」と励まされた時には涙がこぼれそうでした。この先生の励ましにも後押しされ、「広尾」での手術に臨みました。


●カラダもココロも晴れ晴れと・・・
術後の経過は順調でしたが、傷が痛くて他の方のようになかなかスタスタと歩けませんでした。私が一番年長だから?と思っているところに、斎藤先生から「年寄りは寝てないで歩かないと!」と激励(?)され、とにかく土曜日の退院までに動けるようにと、必死でした。

保険診療では下腹部からヘソを迂回して胃の下辺りまで縦に切開すると説明されていた傷が、下腹部の本当に下のほうを、横に10センチ程切っただけで済みました。年齢問わず女性なら、やはり傷は小さい方がいいでしょう。それも心を軽くしてくれました。傷は痛かったけど、体への負担は軽かったのだろうと思います。入院中は特に問題もなく、夫は毎日お見舞いに来てくれて幸せでしたし、病院らしからぬ個室での入院生活は、あっと言う間に過ぎました。

術後、あんなに苦しんだ生理痛はどこかに行ってしまい、ドボドボと出ていた塊も全く無くなり、「こんなに少しでいいの?」という位の出血量になりました。生理中でも普段と全く同じ気持ちで同じ生活を送れます。手離せなかった鎮痛剤も、術後は1粒も口にしていません。クスリはなるべく飲まないに越した事はありませんから・・・。

体も軽く、イキイキと毎日を送っています。カラダはもちろん、ココロも晴れ晴れと軽やかになりました。斎藤先生には本当に心から感謝しています。私を支えてくれた夫にも、O病院の先生にも。

どうか、斎藤先生には、いつまでもお元気で、同じように苦しむ女性を救ってくださるよう、願ってやみません。
術前(pre-ope)
のMRI
術後(post-ope)
のMRI
術前のMRI1 術後のMRI1
術前のMRI2 術後のMRI2

摘出物
摘出物
摘出物 摘出物


術 前(pre ope) 術 後(post ope)
赤血球(RBC)442448
血色素(Hb)(g/dl)12.314.2
ヘマトクリット(Ht)37.242.9
CA-12524014
備考
●3人出産
●子宮腺筋症
●内膜ポリープ
●術前Hb6 ホルモン治療を続けていた。     


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