「本当にお腹から笑える日は必ず訪れます。」 ・・・レポートその1
レポートNo.81

花島美桜(38才)
今 病気で泣いている皆さん 本当にお腹から笑える日は必ず訪れます。私が自分の身を持って証明します。長いお話を聞いて下さい。


●人間ドッグ
「ここ最近、疲れやすい。年とったのかしら? でも、まだ30歳なのに変よね?」こんな理由から、近くの病院で人間ドックを受ける様になりました。身体全体は特に異常なしという事でしたが初めての子宮頚癌検診でDr,に「あれ?変だなぁ?もしかしたら、子宮後屈か子宮筋腫があるかもしれないから、婦人科へ行く様に」と言われました。私は、先生の「異常無し」の言葉を期待していたので頭を殴られたような衝撃を受けました。
「ど〜しよう」母には相談出来ないし・・・・。私の両親は昔の人間で「未婚女性が婦人科へ行くなんてふしだらな事だ」と言う考えの持ち主でした。

とりあえず、近くの婦人科へ行きました。またあの内診台に乗って嫌な思いをしエコーの検査や採血され「子宮筋腫です。普通の人の倍の大きさに膨らんでいる。すぐにこの薬を飲みなさい」私は、再び衝撃を受けました。 ショックのあまり先生の話しをいい加減に聞いていると「君はこの薬を飲まない気がする。いいね!飲まなきゃ駄目だよ!」そして恐らくホルモン剤?と漢方薬?でしょうか?それを渡されて帰りました。「嘘だ〜! 私が何をしたの!」と自分の部屋で泣いていました。自分自身、特に自覚症状が有った訳ではなく普通に生活していたので、「あの婦人科医師の言う事なんか聞けるか!」と思いそのままほったらかしにしていました。

それから、三年後生理の時に痛みが出てきたのと塊が多くなった事からまた子宮癌検診に行きました。今度は別の年配の女性の先生で、最初の先生とは違って私の話を聞いてくれ、「この先生の言う事なら聞こう」と思いました。しかし?この先生の診察時間はあまりにも短く(週4日・午前中だけ)母に内緒で通うにはだんだん厳しい状況になってきました。おまけに1年振りにエコーで見た先生は、信じられない事に「大きいわねェ。採ったら楽よ。手術しなさいよ」と信じられない言葉を口にしました。

「先生、私まだ結婚もしていないんですよ。子供も産みたいです。」「無理よ!これは全摘以外に方法が無いわ」もう、この先生の所へは通えない。私はまた泣いていました。その後、癌検診で何ヶ所かの婦人科を訪れましたが何処へ行っても言われる事はおなじでした。


●摩周湖
先生に全摘と言われた頃、家庭内でも問題があり、毎日泣いて暮らす日々がありました。私の事を可愛がってくれた祖母に会いたい!と東京から北海道まで飛行機で行きました。丁度祖母の命日で御墓参りをした後に従弟に「何処へ行きたい?」と言われ「摩周湖がみたい」と言いました。

11月末の摩周湖は湖の蒼さが一段と深く又、気温もマイナス気温な為に何とも神秘的で幻想的な魅力に包まれていました。このまま、この湖に沈めば楽になれる。あの柵を越えれば・・・・。「美桜ちゃん」と言う呼ぶ声で我に返りました。「祖母がまだ来ちゃ行けない」と言ってくれたのかもしれません。


●インターネット
アマチュアオーケストラに入っている私はオケの団内連絡の為にとパソコンを購入しました。真っ先に子宮筋腫と入れ広尾メディカルクリニックの事を知りました。「私の事を助けてくれるのはこの齋藤先生しかいない。でも、今はすぐに行けない。ギリギリまで待って最後の頼みの綱にしよう。」とHPのアドレスをお気に入りに残しました。結婚したらダンナ様に連れていってもらおう。その前に大出血したら、仕方が無い両親に全てを話そう。と心に決めました。


●最悪の症状
今までは身体が疲れた時には、絞られるような子宮の痛みを感じたり。2日目には出血が多くてトイレから出られない。2日目と3日目の夜はナイト用ナプキンにタンポンを併用でも3時間しか寝られない。尿意があるのにおしっこが出ない。出産だってきっと?こんなには痛くない筈。とか言う事は経験しました。それでも、自分自身で身体を疲れさせないように便秘しないようにとコントロールしてきました。

貧血の為に、90分のバレエのレッスンも1時間も経たないうちにダウンしてしまい、自分自身、踊れない事に口惜しい思いもしました。(その時は貧血とは知らずに、太ったのかな?と思っていましたが・・・。)最後まで生理の2日目3日目は恐怖でした。


●生理が止まらない
今年の一月から風邪を引きずり、少し良くなったかと思うとまたぶり返すという事がありました。三月になってとうとう本格的に寝込んでしまい、その時に丁度、生理が始まってしまいました。既に薬づけになっている私の身体は抗生物質を飲んでも回復しません。

10日程寝込んでしまったあとに、やっとこ起きあがれるようになりましたが・・・・。ところが、生理がまだ続いているのです。(10日目のはずが、4日目ぐらいの出血量で)内科の先生に相談すると「すぐに婦人科へ行きなさい。嫌だと言っている場合ではないよ」といわれ仕方が無く又婦人科の門をくぐりました。


●レディスクリニックでの事
久しぶりに行く婦人科は又、緊張でした。「もう、観念して全てを受け入れよう」とまた内診台の上に上がりました。先生は「大きすぎてエコーが写らないです。内膜症とチョコレート膿胞もありますね」と言い。とにかくMRIを撮りましょう。と言いました。帰りに止血剤やらビタミンC鉄剤に漢方薬風邪薬と持ちきれないくらいの量の薬を貰いました。

後日、保健センターにMRIを撮りに行き、次の再診の時に「コピーを頂きたいのですが・・。」とお願いしたにも関わらず、先生はMRI診断書のコピーをくれました。「受付けで再度フィルムのコピーが欲しいのですが」と言うと「ここにはフィルムはありません」「?」なんと、先生はMRIのフィルムを見ないで私の診断を下していたのです。それに、ダナン(ボンゾール)を4週間分渡され、この薬の副作用である血栓の事には何も触れませんでした。アメリカではこの薬による死亡者が出ているそうです。


●齋藤先生のメール
初診でレディースクリニックに行った日に駄目元で齋藤先生にメールを出しました。翌日に先生からのお返事を頂き嬉しくてすぐに予約のお電話を入れました。何処の誰だか?解からないこの私に、子宮温存の大切さと涙が出るほど嬉しい励ましの言葉が綴られていたのです。


●広尾メディカルクリニックでの事
病院へ行くと「ここは本当に病院?まるでペンションにでも来たみたい。」オルゴールの音楽の中、お花畑にいるみたいにソファでくつろいでしまいまいした。そのホッとしていた時に先生の言葉に私はガ〜ンと衝撃を受けました。初対面の先生はとても怖かったです。

私の病状をお話される内容は、全て先生のおっしゃるとうりですし本当の事です。最近行った病院では、こちらの姿勢も身構えて行っていた為に何を言われても平気でした。(前は行く度に泣いていましたが・・・。)でも、MRIの画像を見ながら説明して下さる先生を見ていると、本当の事を言われながらも恐怖でした。

今回の手術も「友達と旅行で一週間程、家を空けるから」と嘘の理由まで考えていました。先生は「君の両親に内緒で手術するわけにはいかない。君の病気は治してあげるから両親を説得してきなさい。説明が必要ならば、ここへ連れてきなさい」と穏やかながらも厳しい口調でお話され、帰り道、私はまた泣いていました。

家に帰って、両親に「話しがあるの。聞いて。私、今日病院へ行って来た。」すると母は「子供が出来たの?」と全然見当違いの答えでした。全てを聞いた両親は「信じられない!そんな、インターネットで見つけた様な病院は信じられない!国立病院へは行ったのか?そんな病院で手術させる訳にはいかない!ちゃんと他の病院で検査してもらえ!」と取り付く暇もありません。

「斎藤先生が広尾に来れば説明してくれる。」と話すと「電話してこれから直に行こう!」と父。しかし、「今日の診察はもう終りました。」と言われ仕方がなく、ゴールデン・ウィーク明けの予約を入れました。しかし、翌日両親は嫌がる私を国立医療センターへ連れていったのです。


●国立医療センター
一人で待合室で待っていると、大きなお腹を抱えた幸せそうな妊婦さんが沢山います。私は名前を呼ばれるまでの待ち時間に、昨日齋藤先生に頂いた『子宮をのこしたい10人の選択』を夢中で読んでいました。順番が来て先生と話しをして、またあの内診台の上へ。「ちょこっと痛いですが我慢をして頑張って下さい。」いきなり子宮体癌の検査でした。ただでさえ苦痛なのにあんなに痛い思いをさせられるとは。

帰り道、両親の事を恨みました。その後、検査結果を聞きに行くのが嫌でしょうがありませんでしたが1ヶ月程して齋藤先生に「体部のガン検診の結果については一応お聞きになっておいては如何ですか。」とメールを頂き再び重い足を運びました。

今度の先生は、前回の先生とは違って特に厳しいDr.でした。カルテの膣CT画像を見ながら「大きいねぇ!結婚は?子供は?いいですか?ここは手術を受ける人が沢山います。その中で普通は手術無しで治す様に進めるのですが、あなたの場合はすぐにでも手術です。迷っている暇はありません。MRIの予約が6月18日です。この日をはずすと、2ヶ月先になります。そうすると大変なことになります。その年令では、まだまだ大きくなります。早く検査をして手術をしないと・・・・・。」ともの凄い迫力で全摘を促しました。

その時は既に広尾で手術待ちの状態でしたので曖昧な返答をする私が「とりあえず、又来ます」と言うと、「ここの病院じゃなくても良いから、すぐに検査をしなさい。他の病院へ行くのなら紹介状を書きますから・・・。」紹介状を書きながら「あなたのは子宮筋腫じゃない!巨大!子宮筋腫!です。良いですね!」とDr.も一生懸命でした。


●両親と広尾メディカルクリニックへ<
連休明けに両親を連れて再び鶴見へ来ました。「こんな病院?」「こんな普通の家みたいなところで本当に手術出来るの?」と半ば驚いていました。私はすでに疲れ果てていたので、半べそ状態で齋藤先生に再会しました。

カルテを見て私の顔を見ると「君か?」と笑いかけてくれました。私は「私の話しじゃ信じられない。と言われ両親を連れてきました。説明をお願いします。」と言いました。齋藤先生に説明され、再び両親は驚いていましたが、今度は「自分の親なのに・・・何故話さないで一人で抱えていたのか?」と又不思議がっていました。「何故具合が悪い事を言わない!」と母に言われ私は「具合が悪くても『どうした?』とは聞いてもくれなかったじゃない!」言いながら、震えて泣いていました。

看護婦さんが直に肩を抱いてくれて「大丈夫ですか?」「ごめんなさい、先生失礼します。」眼に涙を一杯溜めながら私は隣の事務室の中でワンちゃんの頭を撫ぜていました。《私だって本当は聞いて欲しかったです。》今回の事も母に相談しない事を問われ「何故言わない?」としかられました。私にとっても「子宮筋腫」は自分の胸に収めるのにはあまりにも重すぎる病名でした。ずっと「何時話そうか?」と考え、その度に他のお嬢さんの事で「未婚女性が婦人科へ行くなんて・・・・。」とタイミングの悪い事ばかりが続きました。齋藤先生の丁寧な説明のお陰で帰り道「全てをおまかせしよう。良い先生に出会えて良かったね」と言われ私はやっと胸を撫で下ろしました。

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HIROO MEDICAL CLINIC