「どこの病院でも「もう子宮はいらないでしょ」と言われ
レポートNo.104

K.K.(38歳)
●痛みとの戦い
私は20代後半から生理のときに痛みが激しく、生理中はまっすぐに立っていられないほどでした。つい前かがみになってしまい、職場で「もっとピシっと背筋をのばして」と言われても、内心(無理…)と思いつつ、20代のころは「生理痛がひどいんです」という一言が気恥ずかしくて、同僚の女性にもなかなか言えませんでした。

生理痛があまりにもひどくなってきて、異常だと感じられるようになったのは34歳の頃でした。生理が始まる1週間前から頭痛や体の重さ、だるさを感じるようになり、生理が始まるとそれはひどくて、「のたうち回るとはこういうことか」と言葉の意味がわかったくらい、布団で寝ていても痛みが激しく、トイレに駆け込んでも下痢がひどく、おまけに嘔吐してしまい、もう上からも下からもという状態です。これは単なる食あたりと下痢と生理が重なったものなのか、いや、でも毎月生理と同時にこの状態が続くのはおかしいと思っていました。

生理が終わっても、なぜか頭痛が1週間くらい続いていました。しかし、まだ未婚であったため、なかなか婦人科の門をくぐる勇気がなく、市販の痛み止めを飲みながらやり過ごしていました。

小さい頃からよく知っている近所の薬局で、あまりにも頻繁に痛み止めを買いに来る私をおかしいと思ったのか、心配した薬剤師さんに「あなたよく痛み止めを買いに来るけど、どこが悪いの?」と聞かれ、思い切って「生理痛がひどいんです」と言ってみました。

「病院には行った?私もそうだったけど、生理痛もなぜか30代後半から急にひどくなって、閉経までそれが続くのよねぇ」と言い、もうひとりの薬剤師さんも「わたしもそうだったわ」とふたりで顔を見合わせて頷き合っていました。

そのやりとりを見ながら、私は(なぜだろう?そういうものなの?そういえば、子供を産んでいる友だちでさえも最近ひどくてひどくて、年とともに生理痛がだんだんひどくなってきたって言ってたなぁ)と考えていました。


●「もう子宮はいらないでしょ」
その薬剤師さんに、比較的家から通いやすくて、MRIの結果などもすぐに出してくれる大きな病院を紹介してもらいました。

そこで筋腫がわかりました。そのころはまだ3〜4センチのが1つ、1〜2センチのが1つでした。先生の診断は「まぁまだ小さいので様子をみましょう」ということでした。私はそれを(大丈夫ってことね)と解釈しました。

とりあえず病院では痛み止めの薬をもらい、様子をみていくことになりました。病院の痛み止めを飲んでいるうちは、薬が効いて、眠気やぼうっとする感じはありますが、九死に一生を得たという感じで、なんとかやり過ごせるようになりました。

そのまま生理時の痛みを薬でごまかしながら4年が過ぎ、(またいつもの検診だわぁ)と気楽に病院に行ったら、「もう8〜9センチの大きさになっている。ふつうなら手術する大きさですね」と言われました。
「手術すれば、取れるんですか?」と、簡単に終わるものと思い聞いてみると、「いやぁ多孔性といって、あなたの場合いっぱいあるからね。特に奥にあるのなんか難しいから、取れなかったらそのまま閉じるからね。それよりもあなたその年で独身なら、もう子宮はいらないでしょー。このまま一番大きいのだけ取ったとしても、あとの残ったのが5年後に大きくなったら、そのときはもう全摘だからね。だったら5年前に全部取っときゃぁよかったってことにならないように、まぁ普通は全摘をすすめますけどね」と、いとも簡単に人ごとのように言うのです。

(いくら全摘だって、この人だけには取ってもらいたくない!)とつくづく思いました。


●同じことを言われて
すぐその場で、「すみません。紹介状を書いて下さい」と頼み、腹腔鏡手術を長年手がけてきた別の先生を訪ねることにしました。

そこの病院もすごく混んでいました。先生も患者さんの多さに辟易している様子が伝わって来ました。

そこでの先生の診断は、「あぁ今はやりのセカンドオピニオンってやつねぇ。(ふぅふぅん)」と鼻で笑いました。そこでもあまりいい気がしませんでした。

そして「僕も紹介状を書いてもらった○○病院の先生と意見は同じ。手術ですね。何を見てここを頼ってきたか知らないけど(HPに腹腔鏡手術を長年やってきたと書いてあったから来たんです!)、腹腔鏡手術はもう10年以上やってないからね。それに癌が専門で筋腫には腹腔鏡は使ったことないし、こんな大きな筋腫、腹腔鏡は使えないよ。それよりあんた、もうその年で独身なんだから、子宮なんていらないでしょ」。あとは前の病院の先生とまったく同じことを言われました。

なんだか悲しくて、(いくら38歳だって、まだ恋もしたいし、結婚もしたい。できれば赤ちゃんだって産んでみたい。それをもう子宮はいらないでしょう、となぜ決めつけるの?)と思いました。婦人科の先生がそんなことを言うなんて、とてもショックでした。


●思い切って広尾に
それから、あれこれと思い悩みながら親戚の人に相談し、「まわりには筋腫の手術をした人がたくさんいるから、いろいろ聞いてみてあげるわね。ただ、みんな50代で子供も居る人たちばかりだから、そういう意味ではあなたとは立場が違うから、もしかしたら参考にならないかもしれないけど」と言いつつも、3つめとなる病院を紹介してくれました。 「女医さんで、高齢だけれど、症例数は多い先生だそうなので、同じ女性の立場としての意見を聞いてきたら?ただ、同性ゆえに厳しいことを言われる可能性もあるけど」との言葉に、覚悟して行ってみたら、穏和でやさしいおばあちゃんといった感じの先生でした。

私はそこで「これから結婚もしたいし、できれば赤ちゃんも産みたいので、可能性は少しでも残しておきたい」という気持ちを話しました。

先生は「できるだけあなたの気持ちを尊重して手術しましょう」と言ってくださり、私は(この先生なら、手術しても納得がいくわ)と心から思いました。

ただ、やはり開腹してみないことには、どれだけ取りきれるかはわからないらしく、「できる限りのことをしてみます」という答えでした。

もし取りきれなかった筋腫が残った場合、また数年後に痛い思いをするのは正直いやだなぁという思いは心をよぎりました。

広尾のこともHPは知っていたのですが、保険がきかないということもあり、実際どうなのか不安もあり、まだ広尾の門をたたく勇気がありませんでした。そんなとき、今回のことでいろいろと相談に乗ってもらっていた友人が、メールで「広尾はどう?」とアドバイスしてくれました。彼女のこのメールが勇気をくれて、(初診料8000円だし、ここでも無理と言われたら諦めもつくわ)と、思い切って広尾クリニックに電話をしてみました。

手術は1年待ちとは伺っていましたが、診察はすぐに受け付けていただけて、MRIさえ手に入れば1週間先にでも初診の予約が取れる状態でした。病気で寝たきりだった母も、このときばかりは奮起して名古屋から横浜まで一緒に出かけてくれました。今から思えば、母娘2人の最後の旅行となり、いい思い出にもなりました。


●「大丈夫だよ」と斎藤先生
斎藤先生は一見こわそうに見えました。それまでは、MRIの見方もほとんどわからなかったのですが、1つ1つ丁寧に説明していただき、図まで書いて今どこにどんな状態で筋腫があるのかをわかりやすく教えてくださいました。

一番うれしかったのは、「大丈夫だよ。筋腫は全部きれいに取れるよ。赤ちゃんも産めるよ」と自信を持っておっしゃっていただいたことです。

ただ、やはり手術は1年先まで予約がいっぱいで、キャンセル待ちの患者さんも50人もいました。

診察を受けたのは12月のクリスマスの頃で、街はきれいなイルミネーションに彩られていました。それから年が変わり、4月5月と時がたつにつれ、生理痛が以前にも増してひどくなり、手術が必要と言われる意味がわかってきました。

母の病状もあまりよくなく、「私がいるうちなら充分なことをしてやれるから」と言う母の言葉に、どうしても母がいるうちに手術をしておきたかった私は、思い切って先生に手紙を書いてみました。6月のことです。

でも、(ぜーったい難しいだろうなぁ)と諦めていたのが、クリニックのほうからお電話があり、急遽手術をしていただけることに決まりました。

それからは、大忙しです。手術まであと5日。職場にも報告して引き継ぎをし、退院してきてからは買い物もままならないだろうと思い、冷凍食品やレトルトのお粥を買い込みました。

母にはその間入院してもらうことにしたので、母の入院の用意もあり、(こんな手術前にヘトヘトに疲れてていいのかなぁ)と不安がよぎりました。でも、余計なことを考える暇がなくて、かえってよかったかもしれません。


●仲間たちがいた
いよいよ当日、あまり手術のことは考えないようにしてきたのですが、今日ばかりはそうはいきません。朝からの軽い頭痛が気になりつつも、クリニックに着いたらすぐに着替えて、手術の準備にかかりました。TVを見ながら点滴をし、その間、落ち着かない気持ちで順番を待ちました。

私は2番目で、手術は午後になりました。手術台ではなんだかドキドキしてきて、麻酔の注射を打つ瞬間は急に不安がよぎり、思わず神様に「もう悪いことはしませ〜ん」と謝ってしまいました。

無事手術が終わり、翌日から歩行練習です。「えぇ?もう歩けるの?」というか、「歩くの?」というのが本音でしょうか。まだ頭もはっきりせず、傷口も痛い。(スパルタだ!)と思いつつ、看護婦さんに手伝っていただきながら歩いたときには、(やったぁ)という気持ちでした。

「お隣のお部屋の患者さんに挨拶していきましょうね」と言われたときには、(いいのかしら?おじゃまして。迷惑じゃないかしら?)と思いましたが、トントンとお隣のドアをノックしましたら、その患者さんもつらいのを我慢しながらも顔にはそんなそぶりを見せず、「こちらこそ宜しくお願いします」とおっしゃいました。(あぁ、ここにもお仲間がいたのだわ。痛みと闘っているのは私だけじゃないんだわ)と思った瞬間、痛みが消えていました。

それまでは住んでいるところも違う見ず知らずの間柄だったはずなのに、お互い同じ痛みと闘っている同士みたいな気持ちが沸いてきました。同じ日に、同じ病名の患者が何人か手術して入院しているのも悪くないなぁ、と思いました。

4日後にはシャワーを浴びることができ、生き返った心地がしました。とにかくうれしかったです。これまで当たり前だと思ってやってきたことが、1日1日できるようになり、回復に向かっていくことが、こんなにもありがたく、うれしいことだとは思ってもみませんでした。

その日は先生との会食もありました。そうそう、ここで訂正をしておかなければいけませんね。先生は最初はこわかったですが、会食してお話しているうちに、大変お気遣いされるおやさしい方なんだなということが、ジワジワと(遅い?)感じられるようになってきました。

私もみなさんとお話できたのがうれしくて、思ったより食が進んで、あとでお腹が張って苦しかったのを覚えています。

一緒に手術を受けたお仲間もおっしゃっていましたが、手術という痛い思いはしましたが、それ以外はよい気分転換にもなるくらいクリニック内は感じがよく、看護婦さんにも本当によくしていただき、もう帰りたくないくらいでした。

手術当日は家の都合で立ち会いもなく、なんだか孤独を感じていましたが、ぜーんぜんそんなことはありませんでした。お仲間がいたのです。人は一人で生きているようで、そんなことはないんだなぁと思いましたし、一人で生きていくことなんてできないんだなぁとも感じた6日間でした。

最後に、齋藤先生、元気にしていただいて本当にありがとうございました。そしてスタッフのみなさん、よくしていただいて本当にありがとうございました。

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