「夫の広尾メディカル体験記」
レポートNo.1

武石 彰
妻(武石 智香子)が昨年夏(1998年7月)に斎藤先生による子宮筋腫の手術を受けました。その時の体験記(29号)はすでに妻が広尾メディカルのホームページに書いています。

長年にわたるいろいろな病気を経て、最後に斎藤先生に出会って助けていただくまでの経緯が書かれていますが、斎藤先生から私にもなにか書いてほしいと頼まれました。本人の経験談はいろいろあるが、夫の立場からの記録も重要だとおっしゃるのです。

斎藤先生のところで子宮筋腫の手術を受けるには、当人自らが決断することが必要です。しかし、まわりの家族の理解と支援もとても重要です。それが得られないばかりに手術を断念された方もいるのではないでしょうか。斎藤先生の手術が世の中一般で行なわれているものではないからです。はなしを聞いても不安や不審の念をいだく方も多いでしょう。

最善の治療法を求める妻に引っ張られて広尾メディカルを知ることになったのですが、妻の手術を通じて自分が考えたこと、経験したことが子宮筋腫で悩まれている方やそのご家族になにかの参考になればと思い、筆をとることにしました。

妻の経験は本人の記録の方をみていただくとして、ここでは私が抱いたいくつかの疑問をとりあげ、それらについて今どのような意見をもっているかについて書くことにします。


■なぜ保険がきかないのか
まずだれもが疑問に思うのはなぜ保険がきかないのか、自費で高額の費用を払わなくてはならないのか、ということです。真相はわかりませんが、斎藤先生の手術が一般的なものではなく、斎藤先生にしかできないものであるため、保険が許可されなくなったとききました。保険と自費の両用は国の保険法で禁じられており、全額自己負担の形をとるようになったとのことです。

医学的に認められないあやしげな手術だから保険がおりないのではないか、と疑いをもたれる方もいるのではないでしょうか。しかし、先生の手術は実はアメリカの保険では認められるのです。

妻は手術を受けた時点で、ハーバード大学の学生でした。ハーバード大学の学生は在学中、大学の指定した保険に入ることを義務づけられれています。手術を受けた時点では米国の保険に支払を申請することは念頭にありませんでした。そういう選択肢が全く思い浮かばなかったのです。

ところが、手術後斎藤先生から外国の保険だったら保険がおりるかもしれないから試してみろとアドバイスを受けたのです。万が一と思い、申請してみました。あまり期待はしませんでした。

アメリカの保険会社は世界で最も支払条件に厳しく、それが社会問題になっているのは米国ではよく知られた事実です(保険の支払を節約するため、米国の病院では保険会社の指示で子供を生んだ翌日には退院させられます。クリントン大統領がこうした過度の効率主義を批難したのは最近のことです)。

斎藤先生には多大なご迷惑をおかけして大量の資料と書類を用意していただいきました。資料の準備に時間はかかりましたが、結果的にほぼ全額保険での費用負担が認められたのです。書類さえそろえば、米国の保険会社の厳しい基準でも斎藤先生の手術は保険の支払の対象となるということです。

もちろん手術の効果の何よりの証拠は、手術によって妻の体調がみちがえるように良くなった事実です。長年にわたる不調のため先送りしていた学業に再び取組むことができるようになりました。肉体的、精神的苦悩を横でみてきた私のとってまさに目をみはるような回復ぶりで、斎藤先生の手術を受けて本当によかったと思っています。


■なぜ他の医師にはできないのか
では、なぜ他の医師にはできないのでしょうか。ひとつは斎藤先生の特異な才能があります。斎藤先生はレーザーという新しい技術の可能性にいち早く眼をつけ、研究の末特注の器具を導入し、それを限界まで活用できる職人的なワザを持っておられます。

専門的なことはわかりませんが、先生は通常下腹部を横に短く切開し、そこから筋腫を取り出していくそうです。微妙な感触を感じとりながら、時にはひねりを加え、小さな開口部から取り出せるように大きな筋腫を慎重かつ迅速に細かく切断し、子宮機能を傷つけることなく、全ての筋腫を摘出していきます。子宮の重要な血管は下腹部の両横から集まって子宮をおおっており、横方向に短く切ることによって、出血を抑えながら一定の時間手術を続けることができ、また術後の感染症のリスクを小さくすることができるとききました。

著明な大学病院で、絶対に全摘出しか手立てはないと診断された方が、斎藤先生に手術してもらった後、術後のMRI画像を持参してその教授を訪ねたそうです。他に方法があるなら逆立ちしてやるといわれていたのですが、術後のMRI画像をみたその教授はだまって部屋をでていったまま戻ってこなかったとのことでした。それだけ高度な技術だということでしょう。

そのワザを支えているのが長年にわたる無数の子宮癌、子宮筋腫手術の経験です。これはと眼をつけた名医のもとに飛び込み、台湾にまで修行にいかれた斎藤先生の情熱は驚くばかりです。

さらにそうしたワザと熱意の背景には広島で原爆投下直後に被爆者の治療に当たられた女医であるお母さまを手伝われた少年時代の経験があります。その時、ひとの命を救うとはどういうことかを幼いながらも実体験し、病気の治癒に対する基本的な理解、ものの見方を身につけたことがその後の斎藤先生の歩みを決定づけたようです。「普通でない先生」にはそれなりの「普通でない経験」があったのです。


■なぜ他の方法じゃダメなのか
では、なぜそんな特殊な手術をうける必要があるのでしょうか。立派な大学病院や世間で名の知られた医師の手術ではなぜダメなのでしょうか。わざわざ保険のきかない手術に頼ることはないではないか。普通の手術であれば保険もきくではないか。

これは難しい問題です。妻は実はハーバード大学の医師の手術をうけることも検討しました。ご承知のように米国の医療技術は世界最高峰のレベルにあり、ハーバード大学はその中でもトップクラスにあります。しかしそこの先生でさえ、斎藤先生のような技術は持ち合わせていません。手術をうければ子宮全摘出という結果になるか、あるいは全ての筋腫をとりきれず、一部が残り、やがて再び筋腫が大きくなる再発の可能性があると言われました。

日本で手術をうける際には、開腹してみて子宮全摘出が必要になった場合には合意するという同意書にサインをすることを求められるともききました。もちろん筋腫がまだ小さかったり、子宮内膜症でない場合には、上手く筋腫だけを摘出してくれる先生もいらっしゃるでしょう。また子宮全摘出してもかまわないとの考えの方もいらっしゃると思います。

私にはそういう方に反論するつもりはありません。ここで強調しておきたいのは、私は斎藤先生以外の先生を批判しているのではないということです。斎藤先生の手術方法が独特のものであるのは先に述べた通りです。今日の医療行為には失敗すれば訴訟を受けるリスクが常につきまといます。一般的に認められる方法(つまり保険のきく方法)で手術に臨み、開腹して子宮全摘出がもっとも確実な方法であると判断してそれを実行するのは致し方のないことかもしれません。そうした考え方を否定するつもりはありません。

ただ、妻も私も子宮の全摘出は結果的に体の仕組みになんらかの悪影響をおよぼす可能性が高いと考え、もし可能なら残したい、それには斎藤先生の手術が知りうる限りもっとも望ましいもので、かつ安全なものであるとの結論に達したのです。なによりも子宮筋腫という病気の治療のあり方についての斎藤先生の哲学に共感を覚えたのです。

なお、子宮全摘出に関する問題について、米国のある団体がおもしろいマンガを作成しています。女性と男性をいれかえて、日頃この問題に苦しんでいる女性の立場を男性にわかってもらうことを目的に作られたものです。妻が許可をとって日本語版を広尾メディカルのホームページに掲載してありますので、特に男性の方にぜひ目を通されるようおすすめします。私もこのマンガをみて結構インパクトをうけました。理屈ではなく、少しは感覚的に問題を理解することができるのではないでしょうか。

それから斎藤先生から何度かうかがった話によれば、先生のところへは身分を隠して手術を受けにくる女医さんや医師のご家族の方もいらっしゃるそうです。 この辺については面白い(といっては不謹慎ですが)エピソードが多数あるようです。機会があれば斎藤先生にうかがってみるのも一興だと思います。要は斎藤先生を最後の救済者として頼らざるを得ない専門家も多いということだと思います。


■なぜそんなにお金がかかるのか
理屈ではわかってもやはり高額の費用を支払えないという方も多いのではないでしょうか。斎藤先生の患者さんにはお金持ちの方もいるようです。手術費用のことを考えれば不思議ではありません。

しかし、実際には決して裕福とはいえない方も多数先生の手術を受けられています。私自身も公務員ですし、ローンも抱えており、最近まで夫婦ともども米国で学生だったため貯えもありませんでした。決して貧乏なわけではありませんが、費用をポンと出す余裕はありませんでした。しかし、妻の子宮筋腫の治療にとって斎藤先生にお願いするのがベストであり、それだけの価値があると判断したのです。

もちろんどんなに工面してもそれだけのお金を支払う余裕のない方もたくさんいらっしゃると思います。生活に余裕のない方が費用の問題で手術を断念せざるをえないとしたらこれは不幸としかいいようがありません。斎藤先生の手術が保険の適用をうけることができないのは大変残念なことです。医療保険の本来の主旨はまさにそうした問題を防ぐことにあるべきなのにです。

広尾メディカルは内装がこっていて、病院らしくありません。入院患者は全員(といっても通常二人だけですが)個室をわりあてられます。これをきいて贅沢だとか金もうけ主義だとか疑われる方もいるかもしれません。しかし内装の充実や個室を用いるのは斎藤先生の医療に対する考え方からきているのだと思います。患者の治癒にとって最良の方法として選ばれているのだと思います。

斎藤先生は月曜日に手術をされて土曜日に退院させることを原則としています。 先生の独特の手術の方法が患者に与える負担が小さく体力の回復が早いからこそできることですが、もし金儲けが目的であれば、もっと患者の入院期間を長引かせるはずです。できるだけ楽に、早く治ってもらうことが斎藤先生の目的なのです。特に大病院の産婦人科でいつも産科のあとまわしにされてきた患者さんにとっては、この入院環境はとてもありがたいものだそうです。


■なぜ金曜日の夜にだれもいないのか
最後に、手術を受ける決断された方のご家族の皆様へ注意事項をひとこと。

妻が入院中、退院前日の金曜日の夕方、勤め先から広尾クリニックを見舞いに訪ねたのですが、だれもいなかったのです。携帯電話をもっていないので、少し離れた公衆電話にいって広尾メディカルに電話をいれたり、なにか連絡でも入っているかと家族に連絡してみたりしました。全く返事がないので、再度広尾メディカルを訪ね、やはりだれもいないので、もう一度公衆電話にもどって別のところに電話したりしました。夏の暑い日で、汗だくになった記憶があります。

明日退院する患者がいるのに、だれもいないとはどういうことか全く理解できませんでした。何度も入り口のベルをならし、建物のまわりを一周し、となりのアパートの人にあやしまれもしました。一瞬警察にでも連絡しようかとも思いましたが、思いとどまりひとまず自宅に帰りました。するとしばらくしてから電話がありました。斎藤先生の車の中から携帯電話で妻がかけてきたのです。

いま木更津から広尾クリニックにもどるところだというのです。看護婦さんや入院されていたもう一人の患者さんも一緒に、美味しいお魚をいっぱい食べて、お酒も飲んだというのです。手術からわずか4日目のことです。安心するやらあきれるやらでした。

あとから知ったのですが、斎藤先生には、特に支障がなければ患者さんと看護婦さんを連れて金曜日の夜外食にでかける「習わし」があったのです。私はこのことを知らずに金曜日の夕方病院を訪ねて肩すかしをくったのです。これから手術をうけられる方のご家族の皆様に、金曜日の夕方のお見舞いには充分注意して臨むことを忠告しておきます。

斎藤先生によれば、こんなに美味しいものを食べられるほど回復したのだということを患者に理解させるのが目的だとのことでした。なるほどと思いますが、半分(?)は斎藤先生の「美味しい物好き」によるのではないかと思えるふしもあります。かつて斎藤先生の手術を受けられた方が合流することもしばしばあるようです。

これは特筆すべきことですが、斎藤先生のところへは多くの元の患者さんが訪ねてくるようです。手術をするかどうか相談にいくと、入院中の患者さんやたまたま訪ねてきた経験者のはなしが聞けます。それが一番の判断材料になるからだとの斎藤先生のお考えによるわけですが、そもそもそうして訪ねてくる経験者が多くなくてはできないことです。

妻も最初に斎藤先生を訪ねた際に入院中の患者さんや以前手術を受けた方のおはなしをきくことができましたし、入院中は相談にこられた方と話をする機会がありました。退院後もなんどか先生にお目にかかり、別の元の患者さんにも新たに紹介されました。かくいう私も同席させてもらいました。大勢の人が集まるのは斎藤先生のひとを魅了するお人柄にもよると思います。

また斎藤先生のところで手術をうける決断をされた患者さんには悩みやつらい経験を共有される方が多く、単に同じ病院で手術をうけたという以上にお互いに共感できるのかもしれません。同じ時に手術をうけたひとや、経験談をきいたり、語ったりした相手と仲良くなるケースもあるようです。

普通手術や入院といえばつらい思い出ばかりで、暗いイメージを抱きがちです。手術を受けた病院を、病気でもないのに何度も訪ねるというのは普通にはないことだと思います。手術を通じてひとのつながりが形成されているというこの事実が、なによりも斎藤先生の手術、その背後にある考え方の価値を物語っているのではないでしょうか。

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